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第七回 平成22年10月12日
〜言葉と時代、言葉の文化B〜
at.赤木町「廣」

今回の講義は特に「死の文化」というテーマに集中して行われました。
最初に紹介された言葉が「ケとハレ」、それと密接に関係する「ケガレ」。
民俗文化的な観点からの考察です。「ケ」とは褻という字が当てられ、毛という字にもつながる。「ケ」というのはもともとは食う、食ということで、日常を指す。
毛という字はたとえば一毛作、二毛作といったように田んぼ、お米のことを指すのだとか。そして、稲刈りが終わると田が枯れる、これをケガレと言った。非日常的出来事と捉え、お祭りなどで五穀豊穣を祈った。祭りは「ハレ」の行事。
また昔は「死」を穢れと見た。命が枯れたこと。ケガレを嫌った。だから葬式という行事でそのケガレを清めようとした。死も日常ではない。だから葬式というのもハレのこと。勿論結婚式や入学式などもハレ、晴れの行事。
晴れの門出という例えもあるように。

普段、何気なく使っている「冠婚葬祭」という言葉。「冠」は昔の元服のこと。
いわば成人式。「婚」は結婚式。「葬」は葬儀。「祭」は先祖の霊を祀るという意味だそうです。法事やお盆も含めて。だから、葬儀のことを葬祭と言うのなら、祭の字は斎の字を当てた方がいいのかもしれない。
斎は「とぎ」とか「いつき」とか読み、清めの意味合いがあるから、斎場というのはそういうことからで、通夜をお斎(おとぎ)と言うのはお伽話の「とぎ」、夜伽が転じたもの。つまり夜通し話をするということから来たということでした。


次いで、「死なれて」「死なせて」というテーマが出されました。人は必ず誰かに死なれ、勿論、殺人という行為を言うのでなく、人を「死なせて」いる。

身近な「死」には過敏だが、遠くの「死」については思いを致さない。
たとえば自殺者。人身事故で電車が遅れていますという“情報”の接した時、
人はその多分、自殺であろう死者に対して何らかの思いを馳せることは無く、
電車が遅れることで自分の「日常」が狂ってしまうことのみ考える。

身近な人の死に出会った時、流す涙は、泣くという感情、行為は誰のためへの物か。そんな問いかけもあり、「死」をめぐる、やや哲学的な話には考えさせられるものがありました。

次回は11月9日です。

(事務局記)