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第九回 平成22年12月7日
〜学ぶということ〜
at.赤木町「廣」

今回のテーマは学ぶということでした。
我々は学の場と捉えていましたが、あらためて学ぶということの意味の
話がありました。勉強とは強いて勉めるとも読め、他から強制されるような
感じがしますが、学ぶということは自分の意思で何かを得ようとする意味が
あると言われます。

その場合の自分とは何か。つきつめて行くと自分の存在理由、存在価値、
自分が必要とされているか。様々な自分でもわからない自分に出会う。
どれが本当の自分か。

デカルトの言葉。

「我思う、ゆえに我有り」

という言葉をもとに話し合いがされました。
一人の塾生は「子供が生まれて、はじめて自分の存在理由がわかった」
という話をしていました。レーゾンデートルという言葉をおぼえました。

自分探しの旅。種田山頭火の句が数首。
ますぐな道でさびしい   どうしようもない私が歩いている
人は常に自分探しをしていることをあらためて感じました。
自分という者が持っている二面性や多面性。それについては、
今上映中の映画、玄侑宗久さん原作の「アブラクサスの祭り」
を例にしての話は興味深いものでした。
宗教的な話ではありませんでしたが、天の守護神、
アブラクサスとは何なんだと。


そして本題の学ぶと言うことで、福沢諭吉の「学問のすすめ」が紹介され、
なぜ人は学ばなければいけないのかをいろんな角度から教えられました。

小さい頃覚えたような「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と言えりー。
それから始まる諭吉の思想を学びました。学ぶと学ばざるによる賢人と愚人の違い。
学ぶことによって国が栄える。
人生の在り方や国民としての生き方などを再認識しました。

一国の国民は普通、自分たちの平均的レベルを超える総理大臣を持つことは出来ない。
ミルの有名な言葉を諭吉は引用して学問のすすめを説いていた。
今の世の中にも当てはまるまさに温故知新、古教照心でした。

(事務局記)